礼央×ひまり

credit:すい子様

【ひだまりの残照】

 特段に勉強が苦手というわけでもなく、かといって誰よりも秀でているわけでもなく。広引ひまりはそういう女子高生だった。梅雨の晴れ間に恵まれた六月のある日、彼女は湿気で肌に張り付く机を見つめていた。中間テスト期間の放課後、部活がないためクラスメイトはそのまま家に帰るか図書館へ勉強をしに向かうかという二択を迫られる。もちろんひまりも例外ではなく、すでに数人しか残らない教室の鍵を閉めに来た教師に早く帰れと言われる始末である。半ば追い出されるように教室を出て、あっと声を漏らした。
「礼央くん」
 呼ばれてゆっくりとひまりを振り返る日比生礼央の目は前髪に隠れていてよく見えない。それでも視線が嚙み合ったことに気づいたひまりは、ぱたぱたと駆け寄る。
「礼央くん、今日って用事ある?」
「………………ない、けど。なんで」
「明日の教科、苦手なところあってね、礼央くん勉強できるから教えてもらいたいなって」
 眉を寄せて小動物のように見つめられ、礼央は考えるふりをした。意味もなくスマホを取り出しスイスイと指を滑らせる。数秒間アニメのキャラクターが映るだけの画面を見つめた礼央は何事もなかったようにスマホをしまい、目線を下げた。
「…………いいけど。俺なんかでよければ」
「ほんと~~!?ありがとう!」
 礼央にとっては願ったり叶ったりであるこの状況を、しかしどうやってものにするか、彼は考えを巡らせる。図書室行ってみる?ひまりの大げさともとれる嬉しそうな声を聞きながらあとをついて歩き、礼央はひとつの答えを導き出した。スマートに勉強を教えることができれば、ひまりは自分に興味を持ってくれるかもしれない。自分たちの関係が、なにか少しでも発展するかもしれない。俄然やる気に満ちてきたその頭の熱を勉強のための集中に回すべく、先を歩くひまりのうなじをじっと見つめた。
「あれ…?図書室、閉まってるね」
「閉まってるな…」
 生まれたばかりの熱を奪うように、室内の電気は落とされ扉には鍵がかかっていた。自然と自嘲気味の笑いがあふれる。先程までの己の妄想が崩れていく音を感じ、同時に自らの浅はかさを思い知ることとなってしまった。ぶつぶつと漏れ出る言葉は外の空気のように湿っている。
「っすよね~……そんな簡単にいくわけない……」
「じゃあ外行こうよ!図書館ならここより広いし、涼しいし、勉強するにはうってつけでしょ?」
 じゃあ帰るわ。発しかけたその言葉を飲み込んで、外を見る。鬱陶しいほどの湿気も容赦なく照り付ける太陽も、ひまりの笑顔も少しだけまぶしく感じた。リュックのショルダーストラップを握りしめる。
「……そうだな」
「ね!決まり!礼央くんも自転車だよね、行こ!」
 ひまりの笑顔は真夏のひまわりみたいで、梅雨にむかないな。礼央は静かに思った。
 そうしてふたりはそれぞれ自転車にまたがり通学路を走り抜け、街の図書館へやってきた。ぬるい風を浴びたせいで余計に疲労が溜まったふたりに、図書館の冷風はまるで救世主のようだった。快適な温度に保たれた室内はそれゆえ人も多く、みんなこぞって読書に耽っている。人の多さに対してその沈黙は勉強をするには厳粛すぎた。ふたりはしばし顔を見合わせ、どちらからともなく図書館をあとにする。
「勉強……っていう空気じゃなかったね」
「まあ……図書館だしな」
 じりじりと灼ける肌、ぬるいだけの風、じっとりとへばりつく制服。空気のすべてが不快に感じられるなかで我慢ならないといった表情のひまりが下した決断は、甘い誘惑だった。
「フードコート!行こう!」
 斯くしてさらに移動を重ねたふたりは勉強を開始する前からすでにへとへとになっていた。それでも涼しい商業施設のフードコートでパックのジュースを喉に流し込むだけで、だいぶ回復するものだ。幾分かリラックスしたこともあり、礼央がまじめな顔つきで尋ねる。
「勉強、どうすんだよ」
「ここだとちょっと騒がしいよね……」
 フードコートで勉強という展開がいかにも青春っぽくて気恥ずかしい反面、憧れのようなものも抱いていた礼央は渋るひまりをよそにリュックに手をかける。高揚した気分で教科書とノートを引っ張り出す礼央は突如ひまりの目が輝きだしたことに気が付かなかった。興奮したひまりが、通路を挟んだ向こう側を指さすまで。
「礼央くん!!」
「ひっ」
「あれ!!礼央くんの好きなキャラクターの女の子じゃない!?」
 嬉々としたひまり。指さす先のゲームセンターに見える紫髪で胸の大きな、露出度の高い服装の女の子が描かれたタペストリー。刺さる周囲の視線。うつむく礼央の耳を、喧噪は容赦なく劈く。額から脂汗が垂れかけたそのとき、冷えた手が太陽にあてられたように熱を持った。震える礼央の手を、ひまりの小さな手が握っていた。
「見に行こうよ、ちょっとだけ」
 悪だくみをする幼子のように微笑む。曖昧に返事をした礼央は落ち着いた様子で教科書とノートをしまい、リュックを背負い直した。周囲のだれも、並んでゲームセンターに入っていくふたりを見ていなかった。
 コインが流れる音や派手な電子音が交差するなかを物色しながら進む。あのぬいぐるみ可愛いね、あのキャラクター礼央くんが見てたアニメの子でしょ、このリズムゲームすごいね、あれどうやって遊ぶのかな。熱に浮かされるように、礼央はひまりのはしゃぐ様子に釘付けになっていた。それはプリクラを撮ろうと誘われるがまま個室へ入ってしまうくらいには。
「たのしかったね~!」
「プリクラとか二度と撮らねぇ……」
 目が異様にでかいうえに猫耳が生えた自分の写真を見て、礼央はうなだれた。それでも隣には笑顔のひまりが映っているため、ハサミで切り分けられたプリクラを受け取る以外の選択肢などなかったのだ。
 隠れた場所に自転車をとめて繁華街を練り歩くふたりの手にはクレープが握られていた。陽が沈み始めた街は赤い絵の具を薄くぼかしたように滲んでいて、なにもかもが抽象的に見える。
「まだまだ暑いな~」
 生クリームが盛られたクレープを器用に平らげたらしいひまりがつぶやいた。夏の制服は冬のものより襟ぐりが開いていて鎖骨の先が覗いて見える。そこへ滑り落ちる汗も、見えてしまう。礼央はぼうっと歩いていた。ふとひまりがハンカチを取り出してこちらに向き直ったころには、礼央の指は生クリームだらけだった。
「礼央くん!だいじょうぶ?ぼーっとしてたよ。手、拭いてあげる」
「え、あ、サンキュ……」
 可愛らしい柄のハンカチとティッシュを駆使して、自分より一回りほど大きい手をかいがいしく丁寧に拭き上げる。慌てて口に放り込んだ残りのクレープがやけに甘く感じられた。
 熱中症になったら大変だからと、ひまりは礼央の手を引いて目の前の本屋に立ち寄った。冷房は偉大だ、そう思うや否や繋いだ手が熱くてたまらなくなり反射的に解いてしまう。気にした様子のないひまりはなにかを思い出したように参考書のコーナーへ足を進めた。読んでいる漫画の新刊は出ていないし、この本屋限定の特典がついた漫画もない。アニメ雑誌の品揃えはあまり良いほうとは言えないし、そもそも漫画コーナーが狭いのだ。レジの前を通り抜けたところで、ひまりが振り返った。
「礼央くん、私に付き合わなくても漫画のとこ行ってていいよ?」
「いや、ここあんまり漫画ないし。ひまりと行く」
「そう?…………へへ」
 頬をゆるませてスカートを翻す。参考書のコーナーに人の姿はなく、ふたりは小声で参考書について情報交換をしてそれぞれ一冊ずつちがうものを選んだ。
 先ほどよりも濃い夕陽のなかを、ふたりは自転車を押して歩く。蝉の声はまだなく、家に帰る子供たちの声と自転車の車輪の音だけが響いていた。
「けっきょく勉強できなかったね」
「できなかったんじゃなくてしなかったんだろ」
「そうかな?そうかも!」
 やけに上機嫌なひまりが歌うように言う。
「苦手なとこあるって言ってたのに、いいのかよ。明日だぞ」
「たぶんだいじょうぶ。参考書も買ったし!」
 スマートに勉強を教えていいところを見せて好感度アップの作戦は、いったいどこへいってしまったのだろう。参考書にひまりを奪われてしまった気分だった。しかしその憎き参考書は礼央の勧めで購入されたものだったので、それだけが唯一の救いのように思われた。
「礼央くん?道そっちじゃないの……?」
「いい、送ってく。こっちの道からでも俺んち帰れるし」
「……ありがと」
 一瞬、はにかむひまりの頬が赤く染まって見えたのは、向こうから射す夕陽のせいだろう。長い前髪を少しだけはらって自転車を押した。まだ話したいことがあるのに、ひまりの家が近づくにつれ会話は減っていく。あと少し、あと少し。次第にふたりは歩く速度を落としていった。
「今日、たのしかったね」
「おう」
「勉強できなかったけど……しなかったけど」
「お前も俺も成績悪くないし、大丈夫だろ」
「次はね、ちゃんと勉強もして、それからゲームセンターのリズムゲームとかで遊んで」
 ひまりは小さな指を折って数える。
「おいしいジュース屋さんもあるからそこも行って、別の本屋さんで漫画見て。ぜーんぶやろうね」
 どうやらひまりの未来には、まちがいなく礼央がいるらしい。情けなくゆるむ口元を必死で抑え、それでもあふれる気持ちで少しだけ口角をあげた。
「また、今度な」
「うん!!また今度!」
 じゃあね、明日のテストもがんばろうね。ひまりが扉の向こうへ消えていくのを、手を振りながら眺めた。自転車を押す。夏の日に陽を浴び続けたように体が火照って熱を逃せないでいる。今日は水風呂にでも入ったほうがよさそうだと、礼央は思う。

comment…

コミッションで書いていただいた礼央とひまりの仲良くなるときの話みたいなやつです
あ~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!これだよこれ・・・・こ、これ・・・
すい子様、私より私のオリキャラのことわかってて(?)本当にすごいです。。。だって ちょっとキャラに関するご質問があって、じゃあこんな感じでお願いします!!みたいなお打ち合わせのあとに一回でこの文章を作ってくださったのです。。。。。。エスパー❓❓❓❓❓
もうすごい 文章から伝わってくる温度感とかそういうのが・・・さ・・・。。高校生、、高校生良いですね、、、アハ、、
本当にありがとうございました 小説のおかげでまた1年創作は続けられます、いやマジで!動いてるキャラが見れるおかげでモチベ爆アガりです 最高

そまここの小説もサイコ~~なので読んでください、ほんとに